アスパラガスソウルメイㇳ
「このね、チョコレートが溶けるのがいいんだよお」
彼はビールとツマミでも食べてるかのようにチョコレートをコーヒーで飲んでいる。
「ほらオッサンも食べなよ」
促され、破れた紙包みの上にあるチョコレートを手に取る。彼が折って寄越した板チョコレートの半分だ。
「チョコレートを口に入れたら、コーヒーを流し込むんだ」
チョコレートを一口に割って、口に含んで舌にのせた。カップを手に取って飲む。咥内に熱が入り込む。硬く冷えたものがまろやかで熱いものに溶かされ、溶け出した華やかな香りと甘みは、濃く激しい香りと苦みで速やかに包まれていく。ふたつの際立ったものが混じってひとつになる感覚は、確かに悪くはない。
「な、いいだろ」
彼は早々にチョコレートを口に含んでコーヒーを飲む。余り味わっている様子はない。あと一口でチョコレートもなくなる。と思ったらもう口にしてしまって、コーヒーも飲み切った。
「デカフェだし。気が利いてるね。カフェインって元気出過ぎちゃって困るんだよねえ」
「私も余り元気は出したくない」
「なんでコーヒー好きなの」
「昔の友人が好きだった。その時の香りがほしくなるんだ。菓子に合わせる飲み物としては抹茶の方が好きだ」
「まっちゃ?」
「色鮮やかな緑色の飲物だ。苦みの中に旨味がある。その旨味のもとのテアニンがカフェインの角を」
「ふーん」
「アスパラ、食べるか」
「……いや、チョコの後にアスパラって何かヘンだし」
「……」
「そんな複雑な表情されても」
「してるか?」
「ちゃんと言葉で伝えた方がいいよ」
「なんとも思ってない」
「いやいや絶対何か抱えてるよ顔に出てるって」
「……」
「そう、そう。出してみ? こわくない、こわくない」
「名前は?」
「え? 名前? 魔倉(まくら)だけど」
「そうか」
「それ言いたかったの」
「そうだと思う」
「オッサン、俺マジで心配だよ」
心配するというより嫌悪感が先立って見える表情だった。しかし彼は毒に罹っているようで、時折気の抜けた笑顔の中に歯を食いしばる表情が混じる。片脚の動かぬ者が脚を引いて歩くように、彼の毒が心に応じて連れ立つだけなのだろう。
「タバコないの?」
「ない」
「マリファナじゃなくってさあ」
「ない。咽る」
「は? 阿片吸ってんのに?」
「身体に合わない」
「はあ~~~」
意味わかんねえと魔倉が項垂れる。意味が分からなかろうがそうなんだから仕方がない。
「……言いたいことは?」
「ない」
「ぜってえ何か思ってるじゃん。言えよ」
「思ってることはあったが言いたいことはない」
「じゃあそれ言え」
「忘れた」
「クソ」
糞だなどと呼称される謂れがないのだが。
「まあいいや。しょうがないな」
魔倉は封の開いた煙草の箱を私に押し付けた。
「僕ね、煙草の匂いがしてないと落ち着かないんだよ。お香代わりに立てといてよ」
「立てない。返す」
「もっともだけどまあ持っといてよ。友達じゃん」
意味が分からない。しかし私が意味わからないと言われた時同様、そうなんだから仕方がないのだろう。しかしきちんと聞かなければ知らぬ間にどこに連れて行かれるか分からない。
「友達とはどういうことだ。そして何故友達だと煙草を預けることになる」
「僕の世界では一緒にチョコレートとコーヒー飲んだら友達なんだよ」
つまりその世界ではコーヒーを淹れようと言うのは求愛のような形になるのか?
「言ってみ?」
「私がコーヒーを淹れようと言ったのは友人申し込みになるのか」
「ご名答!」
「煙草はなぜだ」
「便利だろ、いろいろ」
「色々とは何だ」
「僕が吸いたい時とかさ、安心するじゃん」
「分からない」
「お守りみたいなもんだよ」
「……納得した」
「なんで嬉しそうなの」
お守りをもらったとなると嬉しくなるのが人情ではないか。今回の場合は私を保護する目的のものではなく、相手の精神を保護する為のものであり、私の役割は単に荷物預かりとしてのお守りであるが、そういう倒錯は人間に起こりがちだ。
子供の頃母が靴下にお守りだと言って紙切れを縫い込んでいたのを思い出す。靴下の底に埋め込んだものだから、歩く時変な感触がして随分不愉快だった。
今度は紙切れどころじゃなく、こんな大きな箱だ。最初は随分邪魔に感じるかもしれない。しかしあの時と同じように、段々馴染んで気にならなくなるのだろう。
アスパラガスが浮かぶ。
「なーに考えてんの」
「アスパラガス」
「わかったよ。食うよ」
「いや、そうじゃない。思い出しただけだ。寧ろ今は食べたくない」
「ああそう……」
腕を伸ばして机にもたれ掛かっていた魔倉は、暫くどこかを呆っと見ていた。
魔倉はあっという間に食べきったチョコレートの紙包みを捨てて、立ち上がった。自分のカップを取って、流しに行って水を出す。
水の出し方も力がなく、ちょぼちょぼと流れた水がシンクにぶつかる。その音は蛇口から流れ出た魔倉がシンクにぶつかっては排水溝に流されていくような想像をさせた。彼が溜息をして、私は自分の思い込みに気付いた。私は彼を鼻歌でも歌うタイプだと勝手に思い込んでいたようだ。
「じゃあ、またね」
魔倉チョコレートを残したまま、扉を開けて外に出た。
閉じかけた扉から思い出したように顔を出した。
「コーヒー有難う」
扉が閉まる。
私の表情は今、複雑だろう。理由はわかる。
「名前、聞かれなかったな……」